カウンセリングというシェルター
あるのと無いのとでは違うな、という話。
行く前まではかなりギリギリで身辺整理を進めてたり、自殺のタイミングの予定を立てていた(ブログの下書きに残っている)のだけど一度行ってからは落ち着いている。
感覚的にはセーブポイントが出来たような感じ。
これがあればシェルター外で多少頑張ってもMPを回復出来る気がする。
普通の人はそれが実家だったり古くからの友人との交流の中だったりにあるんだろうけど、僕には欠けらも存在していなかった。
多少気にかけてくれる人は居ても僕の方が開けない、開かない。
まあ、そうなってもおかしくはない人生だったのだから仕方ない。
開き方を間違えたり、ダメージ受けてる部分を繰り返し嘆いて誰か回復してくれよって叫んでたけどそりゃ無理ってもんなんだよね。
とはいえ、辛いものは辛いから吐き出したかったしどうしようもなかった感がある。
ひとまず少し落ち着きましたという報告。
MP回復させつつ、突発的な衝動のエネルギーじゃなくて継続する努力を出来る人間になれると良いな。
いつか全力になりたい。
一人だった
単純なことだった。
僕は一人だった。
誰かの周りには行くけれど、僕の周りには誰も居ない。
そう、一人だった。
そんな現実を認めたくなかった。
だから、周囲の気を引きたくて過激なことを好んでいた節があった。
ヤバい奴だと笑って欲しかった。
全てがその感情だけとは言わないけど、その感情は確かにあった。
でも、一人なんだからアピールしてもしなくても同じこと。
そう考えたらなんだか楽になった。
もう無理して迎合しなくて良いんだ。
僕は一人だった。
これからも一人だろう。
それでいい。
少し悲しいけど自分の心はそう言っているのだから仕方ない。
さよなら苦しき幻想の日々。
よろしく静かな現実。
「だって君は自分が不幸でありたいだけじゃないか」
「わざわざ自分から不幸に飛び込んでいるんだろう」
「不幸だから」
「そう言いたいだけだろ」
結局のところ、私の無意識はそこにあった。
今まで色んな人に言われていた、それでも不幸だと信じ込んでいた。
否、信じ込みたかった。
だって、強く生きるのは損ばかりだったから。
弱く生きようとした。
処世術というにはあまりにも…というものだったが、誤学習してしまった脳みそが他者の言葉を受け付けなかった。
よく言われていた。
「損だよね、頭いいのに」
「目の付け所はいいのに」
そんなことを言われていた。
結局のところ、自分はダメだという状況に安心していたのだろう。
ダメな材料探しどころかダメな材料作りまでしてしまった。
全くダメじゃない。
病は治るし、物事はやれば終わるし出来るのだから。
そうやって考える余裕ができただけ、僕は幸せになったとも言える。
さて、なんでも出来るしやっていきましょうかね。
少し本気を出す、付いてこれるか。
※明日は休み
※夜勤明けのテンション
ロリコンとしての限界を迎えた話
諸君、私はロリコンだ。
いや、ロリコンだったというべきか。
少なくとも三次元に於いては。
元々二次元ロリが好きで、ロリもののイチャラブ系が好きだった。
10代後半にはこの傾向になっていたと思う。
その延長線上で三次元もロリというか年下物を好むようになっていた。
なので、自分は二次も三次もロリコンなのだろう、三次元でも将来的には年下の子を選ぶのだろうとぼんやりと考えていた。
だけど、自身も20代後半に差し掛かりTwitter等で自分より若い子(18上ではある)と絡んだりする中で色々と「違うんじゃないか?」と感じるようになっていった。
彼らはあまりにも若い。
自身が好むと好まざる関係無しに隙が見える。弱さが見える。
そして僕は弱い人間であり、その隙に付け入ろうとする自身の影を見てそんな自分を自己嫌悪するようになっていった。
強い人間であれば、そんな対応をせず誠実に対応するであろうし、クズに振り切った人間であればチャンスと見て楽しんでいたのだろうけど、僕はそのどちらでも無かった。
そんな流れに気付いた時、「あ、ロリコンとして終わったな」と感じた。
二次元ロリはそういう設定だとして考えることは出来ても、三次元ロリは有り得ないな、となってしまった。
今までは合法の範囲で年下であればあるほど良いと考えていたけれど、もうこれは前後2〜3歳差以上は好めない身体になってしまった。
それに元々、リアル子供は父性の目で見ていたのもある。
ある種のアイデンティティにしていた物が崩れて消えていった、そんな感覚を味わいながら今文字を書き進めている。
童顔で身長低い同年代の子が好きという一般的な人間に段々と自身が薄れていく。
薄れていく感覚が自身の中を流れていく。
これは良いことなのだろう。
だけど、少し寂しく、少し穏やかに、そして熱狂が遠く感じる。
これ以上はどうにも喩えれないのでこの辺で一旦閉じることにする。
さよなら、僕の青春。
誰かが生きてていいよと言ってくれないならば
僕が自分で生きてていい口実を作るしかないじゃないか。
そんな想いで色々必至に寄せ集めて鮮烈に死ぬ為に生きるなんてのを作りあげた。
ずっとこの考えに浸かっていたから気付かなかったけど、僕が欲しかったのは死ぬ理由なんかじゃなくて生きる理由だった。
鮮烈に死ぬ為に歪んだ欲望を持つことが正しいと思い込んでいたけど、本当は生きてていいよと言って欲しかったんだ。
そもそも死ぬ為に生きるといった方向も、いじめの加害者の死んだ方が良いって言われたことに沿ったものだった。
ようやく目が覚めた。
揺り戻しもあるだろうけど、ちょっとずつ離れていけたらいいなと感じる夜勤明けの朝。
お話にならない物語ではいられない
人生は命の限り続く物語、そんな風に受け止めている。
人の数だけ物語がある。
そして終わりも。
そんな中で自分の物語に対して思うのは落ち続けてきたな、というものだった。
ねじれがあったにせよ、このままでは「不幸な環境に生まれた人間が不幸のまま生涯を終えました」となってしまう。
これではお話にならない。
物語として何も面白くない。
このままでは終わらせられない。
このままでは終わりたくない。
そんな気持ちを抱えつつも、
もう良くね?幕を下ろしても良いでしょ?もう十分だよ、もう終わってしまって良いじゃないか疲れたよという本音が見え隠れする。
ひとまず今じゃなくても良くない?の気持ちで引き延ばしているけど、どこまで持つか。